
―価値提案型マーケティングで実現する選ばれる理由―
1. 高価格でも選ばれるホテル・旅館には“明確な理由”がある
旅行や出張のたび、予約サイトで「この価格で満室?」と驚くホテルに出会ったことはないでしょうか。
近隣の宿泊施設よりも価格が2割〜5割高くても、リピーターが絶えず、週末は数ヶ月先まで予約で埋まっている。
これは偶然の産物ではありません。
明確なマーケティング戦略、特に「価値提案型マーケティング」の成果です。
価格とは、お客様が支払う“コスト”ですが、価値提案とは、お客様が受け取る“便益(ベネフィット)”のこと。
価格が高くても、それに見合う、あるいはそれ以上の“価値”を感じてもらえれば、消費者は迷わず選びます。
この「価値」とは、単なる設備の豪華さや立地の良さだけでなく、体験・サービス・物語といった“感情に訴える要素”まで含まれます。
実際に、地方の老舗旅館が年間稼働率90%超を維持している例もあり、彼らは「泊まる」から「過ごす・癒す・学ぶ」へと、体験の質を進化させています。
2. 顧客の“WTP(支払意思額)”を引き上げる発想
経営戦略論の視点では、企業の利益は「WTP(Willingness to Pay:支払意思額)-コスト」で定義されます。
つまり、原価を下げる努力も重要ですが、「この体験にはこれだけ払いたい」と感じさせる提案力こそが、最大の武器です。
たとえば、ある宿泊施設が「源泉かけ流し温泉があるから1泊2万円です」と言うのと、「この温泉は500年前の地震で偶然湧き出した希少な湯で、1日10人しか入れない時間貸し制」と言うのでは、支払意思額に差が出ます。
このようなストーリー性と差別化された体験設計が、顧客の心を動かし、競合との差を生みます。
重要なのは、「価格に見合った価値」ではなく、「価格以上の価値を感じさせる演出」ができているかという点です。
3. 「サービスによる差質化」の徹底
価格競争に陥る施設の多くは、「設備」での勝負に頼りすぎています。
しかし、ホテル業は典型的な“サービス業”。無形性・同時性・不可逆性といった特徴があるため、接客や対応の質が極めて大きな差異化要素となります。
例えば、お客様の名前を覚えて呼びかける、チェックイン時に手書きのウェルカムカードを渡す、苦情への対応が迅速で的確など、人的サービスの“感じの良さ”は価格に対する心理的抵抗を下げます。
また、チェックアウト後に「ご利用ありがとうございました」のメールを送り、次回の特典情報を付けることで、次回予約への導線をつくることもできます。
サービスは“提供の仕方”次第で、他社と大きく差をつけられる分野です。
4. 選ばれるホテルに共通する「ストーリー戦略」
一流のホテルや宿泊施設は、単なる商品の羅列ではなく、“ストーリー”で顧客を引き込みます。
これがいわゆる戦略ストーリーであり、ビジネスを動画のように連続した価値体験として描く力です。
たとえば、「このホテルは明治時代、外国人宣教師の宿泊所として始まりました。今でも当時の柱や家具を使っており…」と続く物語があると、ただの宿泊施設ではなくなります。
訪れる前から顧客の期待値が上がり、実際に宿泊するとその期待に応えてくれる——この「ストーリーの一貫性」が信頼を生むのです。
これは、商品やサービスの背景にある“哲学”や“歴史”を丁寧に言語化する作業であり、ウェブサイトやパンフレットなどにも反映されるべき要素です。
5. 「ワクワク体験」を設計せよ
高単価でも選ばれるホテルに共通するのは、「泊まる」こと自体がワクワクする体験になっている点です。これを「ワクワク体験マーケティング」と呼びます。
人は、機能や価格だけでなく「感情が動いたとき」に財布を開きます。
特に旅行や観光は、非日常を楽しむための消費です。
だからこそ、「驚き」「感動」「自己実現」などの感情に訴える体験を組み込む必要があります。
たとえば、以下のような工夫が考えられます。
- 「満月の夜にだけ味わえる“月光の湯”」という演出
- 「旅の記憶を封じ込めたオリジナルアロマのプレゼント」
- 「地域の伝統工芸を体験できる夜のイベント」
これらは原価に対して利益率が高く、顧客満足度も向上します。
「普通じゃない体験」は口コミにもなりやすく、SNSを通じた情報拡散にもつながります。
6. マーケティング4Pを再設計する
マーケティングの基本フレームである”4P(製品・価格・流通・プロモーション)”を、価値提案型の視点で見直すと、次のようになります。
- Product(製品):
単なる“宿泊”ではなく、「過ごす時間」そのものを商品化。
客室に“読書の小部屋”や“瞑想スペース”を設けるなど、コンセプトで魅せます。 - Price(価格):
単価ではなく“価格帯の納得性”が大切です。
コース仕立てで選べるプランや、特典付き早割で心理的価格負担を軽減します。 - Place(流通):
OTA(オンライン旅行代理店)に頼るだけでなく、自社予約サイトの最適化が重要です。
「ここでしか予約できない特典」を設ければ直販比率を高められます。 - Promotion(販売促進):
Web広告だけでなく、ストーリー性のあるプロモーションが効果的です。
「地元の小学生が作った旅のしおり」などは共感を呼びやすく、地域連携のPRとしても有効です。
7. 高価格路線の落とし穴と回避策
「価値提案型」とは言えども、高価格戦略には注意点もあります。
最もありがちな失敗は、「価格に見合う体験が用意されていない」ことです。
期待値とのギャップが大きいと、リピーターが生まれにくくなり、レビューでも痛手を負います。
また、設備やサービスの「高級化」にばかり目を向けると、“本質的な価値”を見失うこともあります。
設備が豪華でも、接客が冷たければお客様は離れます。
そこで重要なのが、「価値の内訳を見える化する」ことです。
チェックイン時に体験ガイドを配布したり、予約前にコンセプトを説明する動画を用意したりすることで、「この価格の理由」が自然と伝わります。
安心感と納得感を醸成する設計が必要です。
8. 地域観光・地方創生との親和性
価値提案型のホテル経営は、単体で成立するだけでなく、地域全体の観光価値の向上にも貢献します。
これは特に地方の宿泊施設にとって大きなチャンスです。
たとえば、「地元の酒蔵と提携した“夜のテイスティングツアー”」「近隣の神社の朝拝体験とのセットプラン」など、地域資源と連携すれば、宿の魅力も高まりますし、地域経済にも好影響を与えます。
これが、着地型観光やインバウンド誘致といった政策的トレンドとも合致します。
体験価値の高いホテルは、外国人旅行者の「リピーター化」を促し、宿泊単価の底上げにもつながります。
また、宿泊施設が地域の情報発信拠点となり、地元の魅力を紹介することで、地域全体のブランド価値も高まります。
これは、単なるCSRではなく、持続的競争優位を築くマーケティング戦略の一環です。
まとめ:選ばれるホテルとは、「価格以上の物語」を提供している
いま、選ばれるホテル・旅館の条件は変化しています。
ただ「安くて便利」では選ばれません。価格以上の体験、物語、共感を提供する「価値提案型」のアプローチこそが、差別化の鍵となります。
中小規模の宿泊施設でも、設備投資に頼らず、“人・サービス・物語”というソフト面に注力することで、高価格でも満室を実現できます。
価格競争ではなく、「価値競争」へ。
その第一歩は、「お客様に伝える言葉」を見直すところから始まります。